8月28日(土曜日)に麹町で開催された八子さん( @tomokyun85 )の「クラウド座談会」に参加してきました。すごく刺激の多い会でいろいろと考えさせられる会となりました。
今回はそのまとめという訳ではなく、その前後で感じた事を書いてみたいと思います。
最近の若い人たちの近未来像とは?
遡ること1日、27日の金曜日のお客様訪問時に聞いた話。その方の息子さんは20代なのですが、その息子さんやその人の周りでは自分たちの未来を想像すると、マッドマックスやマトリックスのような廃れた世界を常に想像するらしいです。確かに言われてみてハッとしました。私の世代やそれ以上の方の場合は、近未来というと「鉄腕アトム」や「バックトゥザフューチャー Part2」のように、車が浮いてたり、大画面テレビ電話が当たり前になっていたり、ビルもいろんな形をしていて先進的なイメージを持っていたりするものですが、ここ数年のSF映画などを見るとことごとく未来は荒れ果てていたり、コンピューターが人間を支配していたり、暗いイメージのものばかりです。まずそこで1つ提案。
明るい近未来のスゴいテクノロジーの映画も作って欲しいです。
「先が暗い」と思わせてしまっていることで、若者は前向きになれないのかもしれません。「ドラえもん」のように無邪気に明るく、非現実的なテクノロジーを見て感じる事も大事だと思います。そういう機会が最近めっきり減っている事を実感しました。
八子さんのおもしろい近未来像
戻って、8月28日、八子さんのプレゼンの中で「近い将来、あらゆるところにタブレットが埋まっている、タブレットジェネレーションの時代が来る」という話がありました。私は完全に同意です。何を隠そう私は20年前の大学の卒業論文でこの内容を予言して書いてます。ですが、その座談会で私の周りの方の数名はこれに首を傾げている人がいました。どうやら一人1台の専用タブレットを持ち歩くのが主流になるので、各所には必要ないのでは?という意見でした。私の感覚では概ね若い方がそのように感じるようです。
私が「タブレットジェネレーション」がアリだと思う理由
私が卒業論文であらゆるところにタブが仕込まれる事を予言した理由は至極単純です。
お茶の水博士が iPad を持ち歩くところを想像できないからです(笑)
いや、真面目にそう考えてます。小型携帯電話のようなものはポケットに入るので、iPhoneのようなものは更に進化して今後もポケットの中に存在し続けると思うのですが、iPad クラスのものになると、お茶の水博士の生活スタイルでは全て壁に埋め込まれていて、声やテーブルに埋め込まれているキーボードで操作します。必要な時に既にそこにあるので「てぶら」で大丈夫なのです。「てぶら」に勝るものはありません。そうなった場合、iPad クラスのデバイスは無用となります。おそらくこの「お茶の水博士スタイル」が若い人には一切通じないのだと思います。
そういう意味でも若い人たちの中にはリアルな世界からの延長でしか考えられない、突拍子もない事を考える事ができない人が増えているような気がしてなりません。世の中の大発明のほとんどはそれらの枠を外した時に考え付くアイデアを軸としている事が多いと思います。そういう意味では、今後「ドラえもん」や「鉄腕アトム」のような「欲しい」という欲求だけで作った近未来のアイデアというものはすごく大切にしたいと思います。
とはいえ若い人を非難するつもりはありません。枠の外側を提供する人が少ない最近の風潮をどうにかしたいと本気で考えています。突拍子もないアイデア、誰も考え付かない枠の外側のアイデア、そういったものを提供できる環境が整えば、それは若い人たちの刺激にもなりますし、日本発のすごい企業が出来上がる可能性もあると思っています。
みなさんは私の意見に関してどう思われますか?もっと現実を見て、今出来る事を一歩一歩進む事も大事だと思われますでしょうか?
ご意見 twitter ( @uehamanaoki ) でいただけますと幸いです。もしくは練馬近辺で夜の席で。妄想話大好きですので、いつでもお願いします。
それでは。